夏のはじまりを告げる7月。
美浜町久々子(くぐし)では、毎年この日を待ちわびるように「弁天祭」が行われる。
海の安全と豊漁を願う神事で、久々子の人びとにとっては季節の節目であり、
集落の団結を確かめ合う大切な一日でもある。
祭りの舞台となるのは、湖と海に抱かれた久々子の集落と、久々子海岸の西端に位置する弁天岬。
地元の人びとが親しみを込めて「弁天さん」と呼ぶ神を迎え、そして再び送り出すための一日が始まる。
大蛇の伝説から始まった、
久々子の祈り
久々子弁天祭の由来は、今からおよそ1200年前に遡る。
かつて久々子海岸の西の岬には雌の大蛇、東の和田岬には雄の大蛇が棲み、ともに湾を行き来していたという。そのたびに海は荒れ、漁や暮らしは大きな影響を受け、人びとは恐れ、困り果てていた。
その地を訪れたのが、弘法大師空海である。
村人の話を聞いた空海は、弁天岬の巌窟に籠もり、二十一日間の祈祷を行ったのち、自ら蛇洞へ向かい、
雌の大蛇に仏戒を授けた。すると大蛇は苦しみから解き放たれ、たちまち昇天したと伝えられている。
人びとはこの大蛇を、海上安泰と庶民福寿を守護する女神・弁財天として祀った。
それが、現在、弁天岬の先端に建つ宗像(むなかた)神社である。
弁天祭は、この弁天さんへの感謝と祈りを、今に伝える祭りなのだ。
神輿は海へ。
祭りのはじまり
7月中旬の祭り当日。
早朝から神輿が保管されている区内の佐支(さき)神社には、
白装束に身を包んだ若者たちが続々と集まっていた。
境内にはどこか張りつめた空気が漂い、太鼓や笛の音とともに、
集落は少しずつ「祭りの時間」へと切り替わっていく。
およそ20人の若者が神輿を担ぎ、掛け声を合わせながら久々子海岸へ。
その様子を、年配の人たちが静かに見守る。
「今年も始まったな」とでも言うような、穏やかな表情が印象的だ。
海岸に着くと、神輿は御座船へと慎重に載せられる。
五色の吹き流しが風を受けてなびき、船は対岸の宗像神社を目指して静かに出航する。
神を迎え、再び海へ
海を渡ること約15分。船が宗像神社に到着すると、まずは神事が執り行われる。
境内に太鼓と笛の音が響くなか、弁財天の御神体を神輿へと迎え入れるのだ。
賑やかでありながらも、場の空気がすっと引き締まる。
古くから繰り返されてきた所作の一つひとつに、積み重ねられてきた時間の重みが感じられる。
神事を終えると、神輿は再び船へ。
ここからが、久々子弁天祭の中でも、とりわけ勇壮な場面だ。
弁天さんに喜んでもらおうと、若者たちは船上で激しく押し合い、
相撲を取るように組み合いながら、次々と海へ飛び込んでいく。
「水しぶきが上がれば上がるほど神様が喜ぶ」と若衆たち。
ザバーン、ザバーン、と飛び込むたびに大きな水しぶきが上がり、歓声が沸き起こる。
青い空、青い海、白装束に赤い腰紐。
五色の吹き流しが風に揺れ、船は久々子海岸へと戻っていく。
その光景は、荒々しさの中にどこか優美さをたたえていた。
村をめぐる神輿と、人の声
海岸に戻ると、若者たちは再び神輿を担ぎ、久々子の集落を練り歩く。
沿道には区民が集まり、「暑いけど、しっかりな」「今年もええ祭りや」と声をかける。
神輿が通るたびに拍手や笑顔が生まれ、祭りが集落全体のものとして共有されていることを実感する。
神輿が御仮屋に安置されると、今度は子どもたちによる「子供神輿」が始まる。
大人に見守られながら、小さな体で懸命に担ぐ姿に、沿道からは自然とあたたかな声がかかる。
続いて披露されるのが、女児たちによる「銭太鼓」だ。
竹筒の中に仕込まれた銭が、腕の動きに合わせて「シャン、シャン」と澄んだ音を響かせる。
紅白のバチを手に、少し緊張した面持ちで舞う姿は初々しく、その音と動きが、集落中に広がっていく。
銭の音がお祝いや賑やかさを表現し、見る人に幸せをもたらすとされる銭太鼓。
その音色に足を止め、静かに見入る大人たちの表情にも、どこか誇らしさがにじんでいた。
夜になると、御仮屋前の広場に夜店や屋台が立ち並び、盆踊りも行われる。
あたりに響く子どもたちの声、世代を超えて語り合う人びとの姿。
その光景は、久々子という集落の「これから」を映しているようでもあった。
受け継がれる祭り、
つながる想い
翌日、御神体は再び海を渡り、宗像神社へと戻される。
神を迎え、もてなし、そして送り出す。
その一連の営みが、久々子の人びとの暮らしの中に、今も静かに息づいている。
単なる伝統行事ではなく、集落の歴史、自然への畏敬、
そして人と人とのつながりが重なり合って受け継がれてきた弁天祭。
一年一年、無事に祭りを行うことで地域の営みをつないでいく尊さ。
笛や太鼓の練習を通して、世代を超えて育まれていく町の団結。
神輿が海を渡る光景も、若者たちの笑顔と水しぶきも、その一つひとつが、
この町にしかない「秘密にしたい、景色」なのだと、感じさせられる二日間だった。
久々子弁天祭は、これからも海とともに、人びとの記憶とともに、静かに、力強く受け継がれていく。