福井県美浜町は、「ローイングの聖地」と呼ばれる。
その理由のひとつが、三方五湖のひとつである久々子湖の存在だ。
1968年に福井で開催された国民体育大会をきっかけに湖畔に福井県立久々子湖漕艇場が整備され、
以降、町の中でローイング競技が育まれてきた。
町内の中学や近隣の高校にはボート部があり、オリンピック選手や国体選手を輩出してきた歴史もある。
ローイング競技が根づく一方で、美浜町ならではなのが、年齢や経験を問わず、
誰もが湖とボートに親しむ文化があることだ。
その象徴ともいえるのが、毎年10月に行われる美浜町恒例の大会「町民レガッタ」である。
今回、その舞台裏から当日までを追った。
小学生から始まる、
湖との関係
9月初旬の早朝。
まだ日差しがやわらかい時間帯、久々子湖の湖畔に向かうと、朝もやの向こうに人影が見えてきた。
集まっていたのは、子どもから大人までおよそ20名ほど。
この日行われていたのは、10月に開催される「町民レガッタ」に向けた練習だ。
レガッタは、水上でボートに乗り、オールを使って一定の距離を漕ぎ、その着順を競う競漕会のことである。
美浜町の町民レガッタでは、競技経験の有無に関わらず、町民であれば誰でも、
そして交流部門では18歳以上の方であれば町外の方も参加可能で、大会に向けて練習も行われている。
参加者のなかには小学生高学年の子どもたちもいた。
全長10メートルを超える細長いボートやオールを、数人がかりで慎重に運び出していく。
ローイング競技は、漕ぎ手が1人乗り、2人乗り、4人乗りなどさまざまな種類のボートがあるが、
町民レガッタで使用されるのは「ナックル艇」と呼ばれるボートだ。
ナックル艇は、4人の漕ぎ手と1人のコックス(舵手)で構成される。
漕ぎ手はそれぞれ片側に1本ずつオールを持ち、コックスは進行方向を見ながら舵を取り、
漕ぎ手に指示を出す役割を担う。
朝早い時間ということもあり、少し眠そうな表情の子どもたち。
コーチの「せーの」という声に合わせて、ゆっくりとオールを入れ、ボートが静かに動き出す。
漕ぎ手には、一人一本、片側だけのオールしか与えられないため、
誰か一人が力いっぱい漕いでも、艇は速く進まない。
また、漕ぎ手は進行方向に背を向けて座るため、進む方向が見えないのが特徴だ。
そのため、コックスは単なる舵取りではなく、全体を見渡し、声をかけ、リズムを整える重要な存在となる。
コックスと漕ぎ手が互いを信頼し、4人の漕ぎ手が相手の動きを尊重し合わなければ、
ボートはまっすぐ、速く進まない。個人の力だけでは成り立たない、極めてチーム性の高いスポーツなのだ。
はじめは思うように進まなかった小学生のボートも、何本か漕ぐうちに、少しずつリズムが揃ってくる。
水を捉える音が重なり、艇のスピードが目に見えて上がっていく。
湖畔では、保護者たちがその様子を静かに見守っていた。
子どもたちがレガッタに出場した理由を尋ねると、「親が昔やっていたから」「自分でやりたいと言い出して」といった声が返ってきた。競技としてだけでなく、暮らしの延長線上にローイングがあることが、言葉の端々から伝わってくる。
練習を終え、岸に戻ってきた子どもたちに「がんばってね」と声をかけると、
少し照れたように、はにかみながらその場を後にした。
町民が湖に集う日
10月中旬、町民レガッタ本番。
会場となった久々子湖漕艇場に到着すると、
朝からすでに多くの人たちの熱気で異様な盛り上がりをみせていた。
驚くのは、湖をぐるりと囲むテントの数だ。
チームや地区ごとに設営されたテントでは、食べ物を持ち寄ったり、
バーベキューを楽しんだりする姿が見られる。
誰かが焼き、誰かが声をかけ、自然と人が集まってくる様子は、かつて地区総出で応援した運動会を思わせる。
第38回となったこの年は、196のクルーが参加。
競漕種目は、漕ぎ手の年齢や性別によって「ガッツマンの部」「ジェントルマンの部」「シニアの部」
「スーパーシニアの部」「レディーの部」「マダムの部」など、10種目以上に分けられている。
大会運営には、町職員やローイング競技経験者など、多くの人が関わる。
まさに町を挙げての一大イベントなのだ。
静寂を破るスタートの瞬間
スタート地点となる発艇台に最大6艇のボートが横一列に並び、つぎつぎとレースがスタートしていく。
「アテンション(用意)」「ゴー(スタート)」の審判号令とともに発艇旗が振り下ろされると、
一斉にスタート。オールが水面を捉え、湖に規則正しい波紋が広がっていく。
ゴールまでの距離は500メートル。
コックスの声が飛び、漕ぎ手の動きがそろうたび、ボートはぐっと前へ進む。
ボートの舳先(へさき)がゴールラインに到達した瞬間、ブザーが鳴る。レースによっては、ほんのわずかな差で勝敗が分かれることも。湖岸から審判員がゴール地点を目視と映像で確認し、厳密なルールに基づいて判断が行われる。
すべてのクルーがゴールラインを通過した後、審判が白旗を掲揚し、レースが正式に成立する。
ローイングをめぐる、
それぞれのドラマ
1ヶ月前に練習していた小学生たちもいよいよレースの出番がやってきた。
少し緊張した面持ちでボートに乗り込む姿は、あの日よりもどこか頼もしい。
大人たちと同じく、500メートルの距離を競う。
オールを漕ぐ姿は明らかに様になり、スピードも増していた。
朝7時から始まったレースは、予選、準決勝と続き、いよいよ決勝戦へ。
それぞれのレースには、それぞれのドラマがあった。
競技である以上、勝者と敗者が生まれる。
だが、レースを終えた人びとの表情は、勝ち負けに関係なく清々しいものだった。
全力を出し切り、仲間と息を合わせ、漕ぎ切ったという実感が、そこにはあった。
久々子湖とともに育まれてきた町のローイング文化。
小学生から70歳を超える世代まで、同じ湖に浮かび、同じ距離を漕ぐ。
その風景そのものが、美浜町と久々子湖の関係を映していた。
湖の上を走るボートの軌跡は、これからも美浜町の日常の中に、静かに刻まれていくのだろう。